恋愛コラム

キャバクラにお金を使うのは間違っているのか論

この問題は性別、年齢、社会的立場、婚姻の有無、などにより一人一人意見が違うのが一般的である。

一般的というのは、一般社会にいる女性からは、アホだ馬鹿だ、金の無駄だと批難され、挙げ句の果てに可哀想呼ばわりされてしまう。

うーむマジョリティ!(言いたいだけ。

中にはキャバクラで働いたこともある人ですら的外れなことを言いだす始末で、馬鹿で可哀想な人のおかげで飯食えてたあなたはなんなんですか?と真剣に問いたくなる。

男が馬鹿で女性が賢いから世間は回っているのか、それとも、契合するのは女性が得意で、人付き合いに淡白な男性のおかげで世間は回っているのか…

いずれにしても、主観でしかモノを語れない人は、危険なのでスルーするのが効果的であると言える。

資本主義社会にある当たり前

地方では、飲食、アパレル、看護、介護が大多数を占め俗にいうブラック産業に勤めている人が多く存在する。

男性ももちろんそうなのだけれど、特に女性で営業職をこなしている人は地方ではあまり見かけない。

上記の職種についている人たちの平均年収(看護師除く)は300万を下回り、彼女達の大好きな旅行も、おしゃれなカフェもそう何度もいけるはずがないのである。

ファッションに関していえば。
メンズよりレディースは比較的安く手に入るため、それでも化粧品に回すお金はあるが、実家暮らしでない限り自由に、気軽に旅行に行くことは不可能である。

それにしたって、ただでさえお出かけが好きな彼女達はことあるごとに、女子会などと称しディナーや小旅行を決め込むが、いよいよ金欠となれば副業せざるを得ないのである。

女性の脳みそは今生きることに特化していて、周りの人間関係を見渡す能力が深く備わっている。

彼女たちの脳みそは短絡的で大多数の人はネット商売で利ざやを得ることよりも、夜の世界で女を売る(死語か)ことを選ぶのである。

お酒飲めるし、お金もらえるし楽しいよね!という安直な発想。
止むに止めない事情がある人は覗いて、こういう発想の女性が如何に多いことか。

供給する側は地方では行い難い女性の社会進出により勝手に発生する。

売り手側誕生。

サービスに金銭が生じる。

買い手と売り手が存在するのが資本主義経済の最たるものである。
サービスとはソシャゲなどのスマホゲーであり、飲食店のウェイターであり、小売店における販売員である。

とはいえ、僕が馬鹿にされる理由もなんとなくは察しがつくのではあるが・・・

女性の価値

口を紡ぐ状態であれば、30過ぎれば大多数の人は消失する。

可愛げ、愛嬌などは会話によってのみ成立し、それ以外の美の要素は若い女性に負け続ける一方である。
若いうちのちやほやされていた状況はとうの昔に過ぎ去り、アラサー超えて真理にたどり付くのか。
実際昼の世界も夜の世界も大した差はなく、建前やおべんちゃらをよく聞くのが昼の世界だというだけである。(夜の世界は見栄と嘘)

ともすれば、売り手側の女性たちは減っていく魅力を売れる時に売っておくのは商売の原則でいうと大正解であり、価値が目減りするのもはどんどん売らないと、損失を被ってしまうのである。

次は買い手側です。

20代男性として

世の女性というのは、非常に難解であり、褒めれば嘘くさいといい、貶せば最低だと罵り、会話しないと話しにくいと言う。(ナンダコレハ)

誰に対しても仲良くしなければならないのは義務教育までで終わったと思ったのだけれど、社会に出ればより一層それは面倒で、どうしようもなく億劫だ。

一般的な女性を僕の生きてきた社会通念上で語る。

25歳までに結婚したい20代前半と、いよいよやべーと騒ぎ立てる20代後半達観したそぶりを見せるアラサーの3段階に分かれる。

ドラマで描かれるような、バリバリのキャリアウーマンという人に、僕は未だ出会ったことはなく、普段から例に漏れない女性が僕の周りには沢山いる。(当然例外もいるけれど)

こうした女性に恋をするのは何故なのか?

世の男性たちは催眠にでもかかっているのか、僕は不思議でしょうがない。
楽しいことも、悲しいことも、誰かと共有しなければいけない法律はない。

みんなどっかの脚本家が作った恋愛至上主義に踊らされていることに気がついていないのか。(恋愛結婚は戦後から)

つまるところ、恋愛が下手な僕たちは時代の潮流に乗り遅れたかわいそうな人種であり。

ディズニーランドで思い切り楽しめない、くだらない会話に「大変だね、うんうん、それでどうしたの?」と契合できない人たちだ。

これは現代社会においては最大の欠点なのだ。

そうしたかわいそうな人たちを救ってくれるのが夜の街であり、「最近の女性怖いよぉ」「化粧で誤魔化してるくせに高圧的だよぉ」「中身を見てと言いながらイケメンに擦り寄ってるよぉ」という心の声を押し殺して僕たちはキャバクラに行くのであります。

お金の交換価値をフル活用しに。

お金の交換価値は、自分に興味のないものには徹底的にお金を払いわなくてもよくて、価値のあるものにお金をつぎ込むことができるのが最大の魅力であり、衣食住をクリアしている人たちからすると、趣味とか嗜好である。

キャバクラがそうした趣味の領域に入るのは、はなから恋愛をしようという気が微塵もない人が陥るところであると深く感じる。

僕の場合キャバクラに行く理由は「綺麗で若い女性の時間」をお金で買うことに最大の魅力を感じるからであります。

会話なんてあまり楽しくなくても成立していればオーケーさ。(従ってBUSは即切り)
汚いおっさんの思考パターンと一致するためにキモいとかアホとかバカとか言われてしまっているのだと思う。

どう転んでも、世間一般からは歪んだ考え方だと思うかもしれない。

けれど、僕は、美女がイケメンとばかり並んで歩いているのも歪んでいる世界だと思わずにいられない。

また、仕事のつながりや紹介されて人と付き合うことは、「難易度激高マックス」なのでできない。

感情や、気持ち、想い、が発生してしまった場合。

自分の気持ちに嘘をつかなくてはいけなくて、デートを断るために、「相手のことを思ってこうしよう」と思案しなければならず、これって人生において有益なことなのだろうか・・・と考えてしまう。

面倒になるのは僕が淡白だからなのでしょうか。

そうした理由により、お金を払って美人とお酒が飲めるキャバクラというのは余計なしがらみも感情も一切入らないから楽でついつい足を運んでしまう場となる。

買い手が発生

恋を求めるというよりも、僕の場合は綺麗な顔を見るのが好きなのだ。

そういう意味でいえば眺めているだけで楽しい。

女性がディズニーランドに行くのとあまり変わらない。

綺麗な女性と飲んでいる自分が好きみたいな。(結構やべーやつだな)

嬉々としてディズニーランドに行く人に「乙でーす」と感情を抱くように、彼女たちもまた、僕に同じような感情を抱いているのでしょう。

僕は女性に騙されているかもしれないが、女性はオリエンタルランドに騙されていることには一切気づかないし、気づこうとしない。

つまるところそれが良いか悪いかは自分次第である。