恋愛コラム

年を取ると純粋な恋愛はできないということ。モテなかった僕の場合(現在進行形)

最近元カノの夢ばかり見ているくそちん野郎の僕です。

ここのところ、一般の社会との断絶生活を送っているため(ニート兼FXトレーダー)一人で深々と物事を考えることが多い夏。

夏だというのに暑いの嫌い、人混み嫌いで祭りもすっぽかしてPCの前にかじりついてる今日この頃。
純粋な恋愛ってもうできないなと思ってしまうわけです。

ケース:僕の場合と題して綴っていきたいと思います。

Contents

モテたかったあのころ

今の季節でいえば(7月末日)夏祭り!夏の醍醐味といっても過言ではない。

本当に好きな人と祭りを楽しんだことがない僕からすると楽しい印象はほとんどないといっていいし、実際そんな人ばかりなのではないだろうか。

夏祭りってそもそもなんで好きな人といきたいんだろうと考えたときに思い浮かぶのはアニメやドラマで高校生カップル(付き合うor付き合う手前)の青春模様をモニター越しに数かぞえきれないほど目に焼き付けてきたからではないだろうか。

夏祭り以外にも、クリスマスや、バレンタインデー、死語になりつつあるホワイトデーなどたくさんのイベントごとがあるたびに、「なんで僕は好きな人と一緒に楽しめないんだろうか」と思い続けたらあっという間にアラサーになってしまった。

それこそ僕は逆バレンタインデーなるものにトライしてみたり、女性に花束を贈ってみたり、他人から批判されようが自分の思い込みで女性から好かれる術を研究し、文字通り当たって砕けた

逆バレンタインデーでチョコレートを渡した女子の友達から後日談で「旧日本兵(特攻)ばりの勢いだったので断れなかった。

当たり前のようにこの恋は実らなかったし、当時は負け犬の遠吠えのように「お前旧日本兵みたことあんのかよ」ってはんべそかきつつうなだれていたあの頃。

やった人にしかわからないかもしれないけれど、よくしらない相手にゴディバのチョコレート渡してもその子の弟に全部食われた。その子には渡らないまま。

その事実をさらに後日談として聞いて泣いた。完璧に泣いた。

今ではそれが愚行だと認識しているし、絶対にやらないのだけれど「なんであんなに情熱的だったんだ自分」とふと思う。

純粋な恋愛とは

あえて言おう純粋な恋愛とは青春であると。

そう、僕は文字通り青春だと思っている。青い春と書いて青春と読むのです。青いとは若い人に向けて使われる言葉。

現在、日がな一日僕は読書をしている、トレードで勝つためだ。
最近読んだ本に「ゾーン」という本がある、この本には「トレードで勝つためにはカジノディーラー並みの確率的思考を身に着けるための考え方」が書かれている。

「嫌いな食べ物はなぜ嫌いになったか?」というレベルから書かれている、人間の深層心理や自我を形成するプロセスこそがトレードには邪魔だ、だから本に書かれている通り行動することで考え方(少なくともトレードをする上では)を矯正しようというもの

この本を最後まで読んでハッと思ったのは至極当たり前のことかもしれないけれど、僕に純粋な恋愛はもう無理だと悟ってしまった。

人間が「好き」を形成する段階では外的要因が多く関連する

この記事では深く突っ込むつもりもなく、僕は心理学を勉強してないので自分のレベルで考えたことを記載する。
例えば僕の場合、逆バレンタインデーでチョコレートを渡しても本人は手を付けず弟が食べるという事実を認識しているし、花束を贈ったところで一発逆転できないことも知っている。

アニメや映画と同じようなプロセスを踏んだところで恋愛においての成功は数限りなく薄いことも知っている。

失敗したからこそ、僕はこれらを知っているのだけれど、反対にこれらを僕がやることはもうない。それが無駄だと知っているからだ。

世の中の女性が如何にロマンチックが好きだといっても実はそうではなく、女性たちも一般的にメディアがイケメンだ!と判断した男性の雰囲気を「いい男」だと判断する、その証拠に外国ではマッチョがモテるが日本ではゲイじゃないの?という意見を持たれるであろう。

当然といえば、当然なのだけど、僕たちは自分が本当は何が好きなのか自分で判断する目を最初は持っていないということだ。

中学生のころはゴマキで、高校生のころは、夏帆で、大学生の頃は篠田麻里子で、今現在は圧倒的に橋本奈々未(引退つらい)なのだ。メディアって怖い。

いつも外から持ってこられる情報で好きかどうか判断してる。

こんな感じの子が好きだというのはいつでも持っているものだけど、根本的にそれが本当に自分が好きかと問われると今は「そうかもしれない」としか言えない。

昔なら二の句もなく「好きだ」といえたのに数々の失敗がそれを阻害していまう。

楽しいということ

僕はジェットコースターを楽しいと思ったことは一度もない。

僕が楽しいと思うことは、こうしたらどうだろう?みんなやってないからおもしろくなるんじゃないか。という発想から行う行為。

逆バレンタインデーもメディアで語られたことだけど、当時やる男の子はいなかったし、だれもやらない→やったらかっこいい。こんな考え方をしていた。

ほかにもバク転はだれもやってない→バク転すればかっこいい。

という理由でバク転も習得したけど、どの方法でいこうとも僕の発想は男受けはするものの女性から「モテる」ということはまったくもってなかった。

さらに言えば、必死にアルバイトしてバイクの免許を取得して高校性のころからバイクのってたけどモテなかった。なぜだ!

恋愛で楽しいなと思ったことは、大学生当時付き合っていた彼女にプレゼントを渡した時、彼女の誕生石がついたネックレスを買い、当日車のダッシュボードに忍ばせ帰路につく際、もったいぶったように渡したあれは楽しかったと思う。

予習復習の反復が元来できない僕からすると、セオリー通りの恋愛はRPGを延々と繰り返し遊ぶに等しく、どんな良ゲーも糞ゲー化するあれに似てる。バイオハザードは例外だけど・・・

思うに、僕にとっての楽しさとはだれもやってないことを想像し、ドキドキしながらそれを行うことが楽しいことであって、テンプレ通りの恋愛マニュアルに沿った恋愛ごっこを行って彼女を作っても楽しいわけがない。

経験が恋愛をつまらなくする

僕はドMなので失敗したいのかもしれない、それによって次はこういうふうにしよう!という対策を建てるのが好きだ。

もしかしたら、僕が知っているのは本当の恋愛じゃないのかもしれない。

それでも、人がどういう人に好印象を抱くか勉強したし、何を言ってはいけないのか、何をすると喜ぶのか、たくさんの人に聞いた。それこそキャバ嬢から、職場の女性、取引先の女性、普段通っている美容院のスタイリスト。

僕が今までしてきた失敗と、たくさんの人の意見を聞くと概ね「普通の恋愛」というのは僕にとってはつまらないものであることがわかってきた。

高校生の僕ならよだれをたらしながら「おい、羨ましすぎるぞお前」というかもしれないが今の僕にはその感情が理解できない。

記念日に少し高いディナーをすると喜ぶのが当たり前のように、雰囲気の良いお店を知っていると賢そうに見えるように、女性の反応は大体決まっている。

経験していなかった時は、これこそが真の恋愛なんだ!と思っていたけれど、歳をとるにつれて同じ反応が返ってくる安心感と失望感で板挟みになっている僕。

青春には期待や間違いがつきものだけれど、大人になると失敗したくないという願望も出てくる

そのうえでテンプレートな恋愛を選択している。

じゃあ失敗を恐れず純粋な恋愛に勤しめば?」という意見もすごく難しい。

上述したように僕が面白いと思ってしたことはほぼ100%の確率で失敗している。

そのために得た知識や経験や体験を捨てることはできない。

だから純粋な恋愛はもうできないのだ。

とまあ僕の考え方は恋愛至上主義的発想からは物凄く乖離していて、変にずれた考え方をしているので、お金さえかければそれっぽいようにはできるのではないかと考えている。

まだ見ぬ女性と知り合いたいならマッチングアプリを使うしかない。